この記事は、ブログを管理している僕、「高城 嘉樹(たかじょう よしき)」のお話しです。
お客様にも、よくお店で聞かれる以下のこと。
・「やさいの庭 Chiisanate」を始める前は、どんな人生を歩んでいたのか?」
・「なぜ、このような変わったレストランをしているのか?」
ちょっぴり長くなりますが、興味のある方は読んでみて下さい。
この記事の目次
食と農の間で悩み迷走する人生
Chiisanateが誕生するまでの僕は大学卒業後、民間サラリーマン→国家公務員→自営業者となぞな人生をおくっていますw。
「お前は、一体何がしたいんだ?」
というくらい、複雑な人生経験をしています。
もはや、迷走していると言っても過言ではありません(笑)
※僕の履歴書など詳細は、以下の記事で詳細に書いていますので、興味のある方はご覧下さい。
でもですね、大学は農学部、1度目の就職先は食品会社、その会社を辞めた後は、再び農業大学へ入学し、その後、農林水産省に入省します。
そして最後に、自分で作ったオーガニックレストラン「やさいの庭Chiisanate」の代表をしています。
そうなんです。今まで僕は、
全て、食と農に関係するような勉強や仕事をしかしていないんです。
なぜ、このような複雑な道を歩むことになったのか?
少し長くなりますが、興味のある方は以下も読んでみて下さい。
僕の原点は祖母
僕は今、宮崎県宮崎市で「やさいの庭 Chiisanate(ちいさなて)」というお店を作って、妻と息子と3人で生活しています。
実はそれまで2回違う仕事をしているのですが、2回とも方向性は同じでテーマは「食と農」です。
1回目の就職は、大学を卒業した22歳の頃で誰もが知っている大手の食品メーカーでした。
2回目の就職は、26歳の頃で農林水産省(国家公務員)です。
この2つの仕事を辞めた理由は後で説明しますが、今の自分の原点を考えたとき、田舎の祖母が大きな影響を与えてくれたと思っています。
仕事を2回も辞めてChiisanateを作ったのは、祖母の生活スタイルや農業を小さい頃から間近で見ていて、どこかに憧れていたのかもしれません。
・忘れられない祖母との生活
僕の祖母は、宮崎県延岡市の山の中にある、北方町に住んでいました。
※過去形なのは、現在施設に入所して生活しているからです。
北方町といっても、更に山奥に入っていった「下鹿川地区」というところで、今でも美しい自然に囲まれています。
祖母の生活はとても素朴なもので、朝起きてから就寝まで、農業や内職をして生活していましたんですね。
自分の食べるお米やお野菜を作ったり、わらじや竹籠を作ったり・・・・
現代に生きていれば、「そんなの買うのが当たり前でしょ」と思うことですが、そんなことをしているので1日がすぐに終わってしまいます。
今で言う「スローライフ」実践者ですね^^
畑の横には、採卵鶏がいて料理で使った野菜のクズを与えていましたし、お料理は自分で作った農薬不使用のお米やお野菜を使っていました。
当然、今あるような化学調味料は一切なく、味付けも自分の味覚を頼りに行っていたんです。
僕は小さいなりに、山の中の祖母の生活と、日頃の街の生活は全く別物と感じていました。
でも、僕は祖母と一緒にいることが、そして田舎の川や山の中で遊ぶことが大好きでした。
就職した大手食品メーカーで目にした白い粉
そんな幼少期を過ごしていたため、大学は自然と農学部を選びました。
大学卒業後は「食」に関する仕事がしたいと、大手食品メーカーに就職しました。
親や親戚は喜んでくれましたし、何より自分自身ここで一生働いて安定した収入を得て、幸せに暮らしていくものだと思っていました。
しかし、現実はそんなに甘いものではありません。
・配属先で現代の食品の全てを悟った!!
入社してすぐに配属された先は、食品を製造する中枢部門。
そこでは、訳のわからない大量の粉や液体が毎日食品に投下されていました。
自分も最初は訳が分からずその粉や液体を扱っていましたが、次第にその粉や液体の正体が分かってきます。
ソルビン酸、亜硝酸、増粘砂糖類、還元水あめ・・・ etc。
そう、その大量の粉や液体の正体は「食品添加物」だったのです。
・製品の色を綺麗に見せるため
・1kgの製品から2kgの製品を作るため
・食中毒を防止するため
・日持ちを長くするため
色んな理由をつけて企業は日夜、大量の添加物を私達が食べる食品にぶち込んでいる衝撃の事実を初めて知ります。
それらの物質をネットで調べてみると、決して体にいいとは言えないものばかり。
・ノルマを達成する気がなく会社を去った
僕は正社員だったので、毎年、お歳暮の時期になると、いわゆる「ノルマ」がありました。
でも、大切な親や親戚、友達に、食品添加物まみれの製品を食べてもらいたくありませんでした。
だから、会社のノルマには一切協力せず、毎回、自分1人で1個だけ購入していましたので、会社から「やる気がない」と怒られていました。
社会に貢献するどころか、添加物で偽物の食品を作り、社会を駄目にしている自分が毎日嫌で仕方ありませんでした。
自分の仕事が好きになれない以上、そして会社の利益に貢献出来ない以上、私はその会社に留まることが出来ませんでした。
結局、丸2年働いて会社を辞めました。
【参考記事】
食品メーカーを辞めて農業大学へ
会社を辞めてから、宮崎県の高鍋町にある農業大学校に入学しました。
将来的にはやはり、祖母のように自分で野菜を作って安全なものを食べたい・食べてもらいたいと思っていたからです。
農業大学校は大学の農学部と違い、より実践的に栽培技術などを学びます。
僕が今現在、有機野菜を作りながらレストランで提供出来るのは、この時に野菜の栽培技術などを一から学んだおかげだと思います。
野菜の栽培技術の他にも、試験場研修や市場研修、農業生産法人研修と農業について一通り幅広に学びました。
2年間という短い期間でしたが、私の農業に対する考え方の基礎が作られた時代です。
農林水産省時代と息子の誕生
農業大学で勉強している間、農政に興味を持ち始めました。
今の日本の農業をもっとよくしたい。天下国家のために働きたいと強く思うようになりました。
想いは届いて、農大を卒業する年に農林水産省に入省することが出来ました。今度こそ、日本の農業や食のために頑張って働きたいと燃えていました。
・理想と現実に苦しむ国家公務員時代
でも、人生ってそんなに上手くはいかないものですね。農水省で働いていてもやっぱり、何かが違う。
次第に、ここでは自己実現は出来ないと思うようになります。
僕が農水省でしていた主な仕事は「土地改良事業」。
簡単に説明すると、「日本の農業を強くするために、農業生産基盤を整備しましょう」ということ。
そのためには、ダムや水路を作り、ほ場を大きくする。
そして、生産性を高めて「儲かる農業」を実現するための公共事業を行うための仕事です。
この仕事も個人的にはとても辛かった。
県や市町村の担当者、そして農家さんに、
✓「ダムや水路を作ったら、こんなに生産性が上がります」
✓「規模拡大したら、農業所得はこれくらいあがります」
✓「トラクターはこのくらい大きなものを使い、この農薬をこの機械で散布すれば労働時間はもっと減って楽になります」
など、自分で作った夢物語資料を説明してまわり、公共事業の実施にこぎつけます。
でも、僕の本心は、
✓「環境を破壊してまでダムや水路の整備をすべきではない」
✓「規模は小さくてもいいので、小さい規模だからできる安全な農産物を国民に供給する必要がある」
✓「なので、大型トラクターの使用や、農薬・化学肥料の使用は必要なく、個々の農家が小さな経営者となり責任持って自分の農産物を届ける必要がある」
でした。
やっぱり、祖母していた小さい農業が頭から離れませんでした。
役所での自分は嘘の自分で、帰宅してからこのような本心を妻に語る。
何年かこの2重人格を演じて疲れてきたころ、Chiisanateを立ち上げるきっかけとなる息子が誕生します。
・組織の歯車では世の中は変えることは難しい
息子の誕生で、僕達夫婦の食べものに対する考え方は明らかに変わっていきました。
✓以前の食品メーカー勤務時代で、巷に出回っている食べものが添加物まみれの偽物であると知った
✓今働いている役所では安全性より、生産性や効率性を重視するように指導する立場である
矛盾していますが、息子には、より安全なものを食べさせてあげたいと心から思うようになりました。
母乳を息子に与える妻にも、安全なものを選んで欲しいと思ったんです。
そう思えば思うほど、自分が農水省でしている仕事への情熱は消えていきました。
もう、大きな組織に寄りかかって自分の想う未来を作っていくのは限界だと思いました。
そして、9年間努めた農林水産省を辞めました。
「やさいの庭Chiisanate」を立ち上げる!
私が36歳になった3月で農水省を退職し、その年の6月に「やさいの庭 Chiisanate」をオープンさせました。
退職してからたった3ケ月しか間が空いていませんが、Chiisanateの計画は5年間、妻と話し合いを重ねながら準備をしていたんですね^^
自分たちの子育てや食に対する想いを実現するためには・・・・・・
夫婦で色々と話し合いを重ねました。
★妊娠中や小さな子どもがいる家庭こそ、身体にいい食べものが必要。
★でも現実では、身体にいい食べものを作る企業や農家がとても少ない。
★息抜きに子どもを連れてランチに行っても、お洒落なオーガニック系レストランは、子連れに冷たい。
★だったら、自分たちでお店を作り、そこで有機野菜を栽培し子連れ専用のオーガニックレストランを作ろう
★そして、作ったお店で「食」の大切さを世の中に伝えていこう
そんな想いで「やさいの庭 Chiisante」をオープンさせました。
・僕は社会不適格者
僕は自分のことを、「自分に嘘がつけない社会不適格者」と思っています。
自分の信念を曲げないため、社会で上手くやっていくことが難しく結局2回も仕事を変えました。
3回目の職場が自分で立ち上げた「やさいの庭 Chiisanate」。
当たり前ですが、私はこの職場がとても好きで気に入っています。
Chiisanateでしている私の仕事は、以前の仕事とは全く逆です。
1回目の食品メーカーでは大量に食品添加物を使用
⇒Chiisanteで添加物は一切使用しません。
2回めの農水省では肥料や農薬を使って効率よく農産物の生産性を高める指導
⇒Chiisanateは肥料や農薬を一切使用せず、生産性より安全性を重視しています。
Chiisanateで、少しでも「食」の大切さを伝えていけたらと思っています。
この社会不適格者の僕の体験が、少しでも皆さんの参考になれば幸いです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。